侵食〜摂食障害克服の記録〜
摂食障害で悩み苦しんでいる方やご家族の方に、自分の経験が少しでも役に立てばと思います。
プロフィール

Author:さとしの妻
元摂食障害者の夫さとしの妻♪
同じく元摂食障害者^^;
今は一児の母で、専業主婦



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第一三章 餓えた少年
自分の病気は良くなることもなく、六ヶ月が過ぎた。
一日の行動パターンも少しひどくなった。
午前中の行動パターンは変わることはなかったが、
午後の四時からのラジオ体操と十分のヨガの変わりに五時まで外を歩くのが習慣になっていた。
別にウォーキングしているというわけでもないのだが、部屋でじっとしていられなかった。
それは雨でも行われた。
台風が来た時があった。
それでも一時間歩いた。
筋肉のついてない足は毎日しびれと闘っていた。
もう体力は限界だった。

そのことをK先生に相談した。
K先生は行動療法を勧めてきた。
行動療法のうわさは聞いていた。
手足と胴体を拘束して、何も無い部屋でただ食事を摂るというものだ。
今まで聞いたうわさは、酷いことばかり。
ある人は精神障害を起こして腰抜け状態になってしまうとか、
体験者であっても私は五日しか持たなかったとか、頭がおかしくなりそうだったとか、
全然効果がなかったとか。
もう二度とやりたくないと口々に言っていた。

自分はどうすべきか迷った。
かといってこのまま脅迫を受け続ける生活も嫌だった。
K先生は「失敗してしまった人の意見に左右されずに考えてください。
この療法をやった人のほとんどが病気を克服して普通の社会生活を送っています。
今まで聞いた噂はほんの少数意見です。
今まで頑張ってきた君なら必ず治ります」と。
もうこの療法に賭けるしかないと思った。
やるからには絶対にあきらめない。
治るまで絶対にギブアップしないと強く心に決め、行動療法を受けることを決心した。
不安がまったくないといったら嘘になる。
当時、ヘビースモーカーだった自分が手足の拘束に耐えられるのか、
そして脅迫に打ち勝つことができるのか、本当に賭けだった。

行動療法が始まると決まるとナースや周りの患者たちが応援してくれた。
「平野から出てくるときはふっくらした元気になったA君を待っているよ」。
みんな心から応援してくれた。

行動療法は翌々日の午後二時からに決まった。
今まで過ごしてきた部屋の荷物まとめをした。
この部屋にはいろいろな思い出ができた。
このベットの上で何回運動したのだろう。
何度泣いただろうか。
毎日のようになめ続けたカロリーゼロの甘味料を持ち
この砂糖ともお別れだな、行動療法が終わって出る頃にはもっとおいしい物を食べられるのかな、
などと思いながら荷物まとめを終えた。
毎日書いていた日記を読み返して
よく頑張ってきた、これで自分の闘病も終わりだと固く決意した。

その日の依る、こんなことを考えた。
どうせ行動療法をやれば太らなければならないんだ。
だったら、行動療法に入る前に好きなものを食べようかな。
そう考えると次の日が待ち遠しくなってきた。

行動療法を明日に控え、朝食を摂ったあと、外に出てさっそくスーパーに向かった。
そこは宝の山だった。
自分が食べたいもので埋め尽くされていた。
菓子パン三つ、おはぎ二つ、団子三つ、ケーキ三つ、チョコレート四つ、
から揚げ、トンカツ、アイスクリーム二つをあっという間に食べ尽くした。
もう止まることはなかった。
その懐かしい味とあまりのおいしさにとりつかれたようだ。
病院で出された昼食はわからないように捨てた。
まだ食べたりず、今度はコンビニへ行った。
あの時食べられなかったから揚げ弁当、トンカツ弁当、菓子パン二つ、カップラーメン。
お弁当屋さんに行って鶏肉弁当、天丼を買い部屋で隠れて食べた。
自分の部屋の前には飲み物の自動販売機があった。
入院中は自分には無縁だった。
なぜなら自分が飲める飲み物といえば、
ダイエットコーラとカロリーゼロのアミノ酸飲料とブラックコーヒーしかなかったからだ。
入院して今、初めて自動販売機の前に立ちお金を入れた。
何を飲もうかすごく迷った。
考えた挙句、ファンタピーチを買った。
これもまたすごくおいしかった。
もうこの日は食べ物のことしか頭になかった。
まるで飢えからやっとの思いで開放され、
食べ物のたくさんある町に逃げ切ってきた少年のようだった。
外に出ても景色をみている余裕はなく、ただ食べ物を売っている店を探し続けた。
夕方になってもその行動は止まらなかった。
夜食のために何にか買っておこうと考えた。
まらスーパーに行き、ケーキ四つ、焼き鳥五本、餃子三つ、お刺身盛り合わせ。
コンビにではお弁当二つ、菓子パン二つ、ドラ焼き二つ、和菓子二つ、板チョコ二枚。
病院に着き、それをベッドの下に隠し夜になるのを楽しみに待った。
深夜になりみんなが寝静まった頃、活動は開始された。
食べても食べてもいくらでも入った。
満腹中枢はもういかれていた。
ただただ食べることに脳は働いていた。
夜は開け、とうとう今日の午後二時から行動療法が開始となる。
不安や緊張は全くなかった。
あるのは抑制の取り除かれた食への執着心だけだった。
まだ食える。
まだ俺の胃袋には余裕がある。
行動療法は二時からだ。
ギリギリまで食べ尽くしてやる。
また餓えた少年は町へと繰り出した。
弁当二つ、菓子パン二つ、ケーキ四つ、大福二つ、締めにラーメンを食べ、もうお腹はパンパンだった。
でももうはまだ食べ物を要求していた。
最後にカツどんを胃の中に押し込んだ。
脳はまだ物足りなかったが、胃がついていけなかった。


さとし『侵食〜摂食障害克服の記録〜』より

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さとしの妻です。

「ねぇ、どうして急に行動療法をやろうっていう気になったの?」と夫に聞いてみました。

「何かこの頃頭おかしくなったってさ、それにフラフラだったし。」
「でもそんなのって、この頃に始まったことじゃないでしょ?」
「うん、そうだね。
 でもこれじゃダメだって思ったんだよ。」


今まで病気が嫌でも
太ることが怖くて、受け入れられなくて
治療に対して前向きになれていなかったわけですが
それがこのままでは嫌だと、急に思ったようです。


そしてここから夫さとしは
治癒に向けて歩き始めた印象があります。









病気の中にいるとき
それが嫌でたまらなくて
じゃあ無理をして食事を胃の中に入れたり
食べたものを戻さずにもいられなくて
結果的に病気と共存する道を選んでいる部分は
この病気の方なら少なからずあると思います。
病気が嫌で治したい気持ちは大きいのですが
でも太ることの恐怖や、治る事への疑念が大きくて
治したい気持ちが勝つことが出来ないのです。

ああ、何かきっかけがあったら
気持ちに踏ん切りがつくのではないか
そう考えている方もいらっしゃるかと思います。



でも何かきっかけが降ってきたとしても
それをチャンスに変えなくてはならないのですし
そう考えると歯車が回転し始めるきっかけは
誰かが与えてくれるものでもなく
心の中にあるものだと考えています。






だからといって
何の準備もなしに
全て自分ひとりで立ち向かえるかと言ったら
そういうものでもないと思います。
病気になってしまってからの時間の中で
周りの人が働きかけてくれるお陰で
物事の認識が変わってきたりすることもあると思います。
家族や周りの人に大事にされていると感じることで
色んなことを許せるようになったりもすると思います。
専門家のお医者様との治療の中で
歪んだ認識を自覚して、違う考え方をする訓練もするかもしれません。

そして何よりの力になってくれるのが
積み重ねてきた病気の時間だと思います。


すごく苦しくて
悲しくて寂しくて
もうどうしようもなく嫌で
死のうとしてもなかなか死ねなくて
死ぬのも怖くて。
こんなに辛い時間がこれからもずっと続くのだろうか。
この病気のせいで。。。

病気のせいで辛い思いをした経験は
必ず病気を抜け出すための力になってくれると思います。


ですからまずは
摂食障害は治る病気であるということを知ってください。
そしてこれを読んで下さっているご自身の病気についても
治るということを信じてください。
摂食障害は治る病気です。
共存していなくても、すっきり病気とさようならをしてやっていけるのです。
病気のせいで、たくさん不自由も苦しみもあると思います。
その根源である病気を憎んでください。

食べ物のことしか考えられないのも
頭がちゃんと働いてくれないのも
必要以上に寂しいのも
生きてることが辛くなってしまうのも
何もかも、嫌になってしまうのも
全て病気が悪いのです。
病気さえなくなれば、新しい人生が始まります。

病気を憎んでください。
それは病気から抜け出す、力になります。






摂食障害は治る病気です。
諦めないで下さい。





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第十二章 操り人形
入院も五ヶ月目になると一日の行動が全く同じになっていた。
したくてしているのではないが、毎日同じ行動をしなければ気がすまなかった。
これも一種の脅迫だった。
まるで時間に動かされているようだった。
完璧主義の自分はこの決められた生活をやめることが出来なかった。
喫茶室で楽しく話が盛り上げっていても、運動の時間になると運動をし、
風呂の時間になると風呂に入った。
まるで操り人形のようだ。
寝る時間も決まっていた。
昼寝をする人や二十時くらいに寝てしまう人がうらやましくてしょうがなかった。
毎日寝る時間になると本当に疲れきり、倒れこむように寝ていた。
一日のうちで落ち着ける時間は寝る時間しかなかった。
寝る時間は自分にとってとても大切なものだった。

この頃の一日の行動パターンを書いてみようと思う。

朝六時に起き、体重測定。喫茶室にて対話したり、絵を描いたりして七時まで過ごす。
七時にラジオ体操。
七時三十分に朝食。咀嚼法でゆっくりと一時間かけて食べる。
八時半から九時まで喫煙や絵を描く。
九時から二度目のラジオ体操とヨガを十分。
九時三十分から十時まで、また喫煙や絵を描く。
十時から三度目のラジオ体操と十分のヨガ。
十時三十分からシャワーを浴びる。このシャワーも痩せるシャワーの浴び方というのがあり、それを実践していた。
十時五十分から四度目のラジオ体操と十分のヨガ。
十時二十分から喫煙や絵を描く。
十一時五十分から昼食。
十二時五十分から十三時三十分まで喫煙や絵を描く。
十三時三十分から五度目のラジオ体操と十分のヨガ。
十四時から十六時まで喫煙と絵を描く。
十六時から六度目のラジオ体操と十分のヨガ。
十六時三十分から夕食まで喫煙や絵を描く。
十七時三十分から夕食。
十八時三十分から二十一時まで喫煙や絵の仕上げ。
二十一時にストレッチをして就寝。

このような生活を毎日続けていたのだから、体重も増えるわけがなかった。

ある日、ひとりの患者が入院してきた。
彼女は若いが大変な病気におかされていた。
それはアルツハイマー病だった。
アルツハイマーといえば、年をとるとなる病気だと思っていた。
彼女の脳は萎縮して隙間だらけでスカスカになってしまっているという。
そんな脳になってしまった原因は摂食障害だったらしい。
彼女は摂食障害で三十五キロまで体重が落ち、
脳への栄養不足の性で脳が萎縮してしまったのだという。
その脳は危険を感じて彼女を過食症へと追い込んだ。
その過食もバランスが悪く、ほとんど甘いお菓子だったという。
彼女の体重は八十キロを超え、見た目はふっくらした普通の女性に見えるのだが、
歩き方はゆっくりでバランスも悪く、時々ふらつき倒れているのを目にした。
彼女もすごくいい人だった。
彼女の母親は毎日のように彼女に会いに来た。
彼女は入院数日後に病院のトイレで自傷行為(リストカット)をして、強制退院させられた。
彼女を自傷行為に追い込んだ原因は何だったのだろう。
入院生活でも笑顔を絶やさなかったし、愛してくれる母親がいた。
きっと僕なんかではわからない悩みをひとりで抱え込んでいたんだろう。
みんなの前では決して笑顔を絶やすことのなかった彼女はとても強い心を持った人だと思った。

さとし『侵食〜摂食障害克服の記録〜より』


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さとしの妻です。

摂食障害の合併症として冷え性、低血圧、貧血、骨粗鬆症、無月経無排卵、脳萎縮
虫歯、唾液腺炎、電解質のアンバランスによるもの(不整脈・心停止・むくみ)などがあります。


私も例外なくそれらのいくつかのものに当てはまり
今のような季節はダニ殺しのマークまで温度を上げた電気毛布を敷いて寝てもまだ冷えましたし
背中が真っ赤になってもヒーターの前から離れられませんでした。
コートを重ね着して外に出かけました。
血圧も上が60台だったりしました。
生理が止まることはなかったのですが、健康の時とは違ったものでした。
虫歯も増えましたし、唾液腺が腫れてあごの下が丸くなることもありました。
痩せても顔が浮腫んで腫れぼったくなったり、手足が痛むこともありました。

骨粗鬆症も怖いですし、ホルモンバランスの異状により
将来妊娠できない状態になってしまうのではないかというのも怖かったのですが
一番恐れていたのは脳萎縮でした。


摂食障害による脳萎縮に於いてはアルコールによる脳萎縮などとは違い
体重が増えてもなかなか回復しないという所見が見られているそうです。



病気が酷い時は、頭が全く働かず
5×10cm程度のメモ帳が手放せませんでした。
昨日のことは愚か、ほんの1時間前、もしかしたら数十分前のことすら
ちゃんと覚えていることができず
それが不安で、五分単位で自分が何をしているのかを書き留めたりしていました。
弟の彼女がうちに遊びに来てくれた時も
何度聞いても名前を覚えられず
名前を聞いたことすら忘れてしまうものですから
数時間の間に何度も名前を聞いたりしていたそうです。
今では笑い話ですが。
それだけではなく
当然思考回路もおかしくなっていましたし、判断能力も欠けていました。
目を閉じると恐ろしい映像が見えたりもしました。


こんなに頭おかしくなったって
もう二度と戻らないんじゃないかって不安になったりしたのですが
頭が上手く働かないのは、脳萎縮のせいではなくて
脳波の徐波化の影響もあるそうです。
脳波が正常に出ないことにより
錯乱状態、朦朧状態、記憶障害などが引き起こされます。
それらは体重が増加し、脳に栄養が行きわたるようになれば改善されます。

実際私も
今では昨日の夕飯に何を食べたのか思い出せますし
不自由なく生活できています。
ですから頭が働いていないのは脳萎縮のせいで
もう二度と戻らないわけではなく
病気が改善することによって回復するものもあるということです。



ですが勿論
さとしの文中に出てきたように
脳萎縮によって障害が残ってしまう場合もありますし
脳の問題だけでなく、不整脈や消化器の機能低下も恐ろしいことだと思います。


もう二度と、健康な体に戻れなくなるわけではない
けれど低体重の状態を続ければ後遺症が残るかもしれないし
場合によっては死んでしまう…
そういう認識が大事なのかなと思います。


摂食障害は恐ろしい病気です。
「まだ大丈夫」「まだ行ける」
そういう誤った認識を持っている時点でもう大丈夫ではないと思います。
でも、摂食障害は治る病気です。
必ず穏やかな日々は訪れます。
諦めないで下さい。





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第十一章 孤独期
症状はなかなかよくならない。
食事はしっかり摂っているのに何で治らないんだ!と苛立つことが多くなっていた。
食事を摂っても良くならない。
運動しても辛くなるだけ。
自分は本当に治るのかとあきらめまで感じていた。
この状況をK先生に相談した。
するとK先生は全く動揺することなくこう答えた。
「今が大事な時です。
 この病気の回復期には今まで快感と感じていた運動が全く快感でなくなり、
 何に対しても鬱っぽくなる無快感状態というのに入るのです。
 これを乗り切ればきっと良くなります。」
回復してきていると聞いて少し安心した。
確かに先生の言う通りだった。
快感を感じなくなったのは運動だけではなかった。
なぜか人で賑わっている喫茶室は避け、
独りでタバコを吸っていることが多くなった。
人と話すのが面倒になっていた。
親が面会に来てもほとんど話すことはなかった。
このままでは自分らしくないと時には喫茶室へも顔を出すが、
周りの人たちのテンションについていけなくなっていた。

ただただ孤独との闘いだった。
この孤独期は長かった。
いつになったら抜け出せるのか、じぶんはどうしたらいいのか
まったく分からずひとりで悩み続けた。
親にも面会に来ないように言ってあった。
自分は本当にひとりになっていた。
人はひとりでは生きていけないことを実感した。
誰かが自分を支えてくれるから生きてゆけるんだと分かった。
孤独な毎日を過ごしていた自分にK先生はこのようなことを言った。
「この孤独期を抜けるには環境をがらっと変えたりするといいよ!
 例えば外に買い物に行ったり、家族と食事に行ってみたら。」
そう言われてみて、確かにそう思った。

自分は何ヶ月間この病院に閉じこもったままで、外に出ていないんだろう。
それに先生の言った外食という言葉、自分の中でまったく考えたことがなかった。
毎日の病院食をきれいに食べることで精一杯だった。
しかし、このまま月日が流れていっていいのだろうか。
何かかわらなければ・・・
先生が口にした外食という言葉が頭から離れることはなかった。
カロリーにこだわりが残っている今は、まだ行くべきではないのか、
答えの出せないままずっと考えていた。
自分では解決できなかったのでナースに相談してみた。
自分の担当で母と都市が近く、母のように接していたナースだ。
「初めての外食だからカロリーが気になったっていいじゃない。
 ここのところ天気もいいから景色の良いところでお弁当でも食べてくれば。
 行くだけでお母さん喜ぶんじゃない!」
そうだよな。
別に外食だからといってファミレスとか定食屋とかで食べなくてもいいんだよな。
明日の天気は晴れだし、さっそく行ってみようかな。
そう決まると行動は早かった。
すぐに母に電話した。
「明日、外食にでも行ってみない。
 弁当はコンビニで買って景色のいいところで食おう!」
母も急の電話でびっくりしていたようだ。
勢いで電話してしまったはいいが、時間が経つに連れ迷いが出てきた。
本当に今の状態で行ってもいいのか…
同じ病気を持ち外食に何度か行っているMさんに相談してみた。
「なあに。そんなこと心配してるの。
 私なんか何度も外食行ってるけどこだわりばっかり。
 行くのは同じバイキングで食べるものといったら決まってサラダとか、
 カロリーの低いものばっかりだよ。」
彼女のことはを聞いて安心した。
カロリーが気になりゃ気にしたっていい。
おいしそうにご飯を食べている姿を母に見せてあげよう。
ようやく決心はついた。

いよいよ外食の日になった。
外は晴天だった。
午前十一時に母が迎えに来た。
久しぶりに病院着のジャージから若者らしいファッションに着替えた。
ナースや周りの患者さんたちも、その代わりぶりにびっくりしていた。
みんな「無理するなよ」「おいしく食べて来い」と応援してくれた。

久しぶりの外出、外の空気はとてもうまかった。
明らかに味が違った。
とても気持ちがよかった。
コンビニに着きお弁当選びが始まった。
一番目についたのはから揚げ弁当だった。
すぐにカロリー表示に目がいった。
九百八十八キロカロリーだった。
とてもじゃないが選ぶことはできない。
次に目についたのがトンカツ弁当だった。
九百九十八キロカロリーでやっぱり、選べなかった。
天丼、牛丼、うな重、幕の内、
すべて自分が、このぐらいのカロリーにしようと決めていた数字に当てはまるものはなかった。
結局、自分の選んだ弁当は五百三十八キロカロリーのミートソーススパゲティーと
三十五キロカロリーのみそ汁だった。

弁当を買い、海の見える海浜公園へと向かった。
すごく天気は良く、海は澄み切っていた。
絶好の条件だった。
景色のよく見える芝生を探し、そこで食事を摂ることにした。
母との外食は何年ぶりだろう。
恥ずかしさはなかった。
うれしさのほうがよっぽど大きかった。
さあ、お弁当を食べよう。
いつもの部屋のドアを締め切ってひとりで沈黙して食べているのとは違い、
色々な話をしながら食べた。
母はずっと笑顔だった。

カロリーを気にしながら弁当を食べてしまったが、
久しぶりに楽しい食事ができた。
自分の中では大きな思い出にもなったし、外食の楽しさを知った。
また行きたいと思うようになった。

病院に帰り、今日のことをナースに話した。
いつの間にか鬱っぽさはなくなっていた。
K先生の言う通り、環境を変えて気分転換することが必要だったのだ。
また、天気の良い日があれば行こうと思った。


さとし『侵食〜摂食障害克服の記録〜』より



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さとしの妻です。

これまでも、そしてこの先も夫さとしの記録には
彼のお母さんがよく出てきます。
彼は母親のことをとても頼りにしていたと思いますし
母親に救われる部分が大きかったのかなと思います。


私の場合は母と対立していました。
自分がこうなってしまったのは母のせいだと思っていましたし
それを母にぶつけたりしていました。

「お母さん、私、三歳の頃お母さんに死ねばいいじゃんって言われてから
 ずっと死んでもいい存在なんだって根っこのところで思いながら生きてきたんだよ。
 その気持ちが分かる?」
そう言って母を責めました。

謝る母に対して「今更遅い」と聞き入れることはなく
泣いている母を見ても「私はもっと長い間ずっと辛かったんだ」と
心が痛むことはありませんでした。


母はそんな私に対しても愛情を注ぎ
私と一緒に通院し、医師の説明を受け
病気のことや、私への接し方について精一杯理解しようとしてくれました。
私の罵声や嘔吐に、我慢できず感情を爆発させることもありましたが
娘の為に仕事を減らし、治していく為にできる限りのことをしようと向き合ってくれました。
「○○ちゃん、大事なんだよ。大好きなんだよ」と
ベットに横たわる私の浮腫んで痛む手足をさすってくれました。

そんな母のお陰で
私の心もやわらかくなっていけたと思います。






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第十章 変化
入信して三ヶ月が過ぎ、食事は全く気にしないといったら嘘になるが、
ある程度抵抗なく食べられるようになっていた。
相変わらず、食後の運動も欠かさず励む日課となっていた。
しかし、脳の中では大きな変化が現われていた。
今までは運動すると快感物質が分泌されて気盛りよくてたまらなかったが、
最近は運動すると「何やってるんだ俺。このままでいいのか」と
頭の中で激しく戦っていた。
運動が心地よいものから苦痛へと変化しつつあったが、
脳の脅迫には逆らうことができず、従っていくしかない状態は依然続いていた。

摂食障害はいくつかの症状がある。
全く食事が採れなくなり、食べ物を見ることすらできなくなり
点滴さえも外してしまう拒食症。
本当は食べたいのに脳からの脅迫により食べられない肥満恐怖。
食べてしまうと運動しなければ気がすまない過活動。
食べたいものを食べたいだけ食べ、最後に食べたものを全て吐き出す過食嘔吐。
自分が経験したように、いつもカロリー計算をして考えて食べることが習慣となり、
食べ方が分からなくなって頭が食べ物のことでいっぱいになる脅迫傾向。
一一番驚いたのは、醜態恐怖。
一見普通の拒食症に見えるのだが、
テレビでやせた人を見たりすると自分は太っていると認知障害を起こし、
自分は醜い人間なんだと自分を責め、自傷行為を行う。
時には手首まで切ってしまう。

彼女の手はタバコを押し付けた跡でいっぱいだった。
時には自分が映るのを嫌がり、鏡を割ってしまった。
話してみると、とてもいい子だった。
親のことをとても愛している優しい女の子なのだ。
彼女にも辛い過去があった。
幼少の頃に父親を亡くし、子どものころからいじめられていた。
いじめられていたことを誰にも相談できなかったらしい。
自分の為に一生懸命働いている母を困らせたくなかったのだ。
誰にも伝えることのできない彼女の悩みは心の中で大きく膨らみ、
痩せる快感を得ることでその辛さを忘れていたのだ。

自分の症状はなかなかよくならなかった。
食事は普通に摂れるようになっていたのだが、
脅迫的な運動はどうしても止められなかった。
その頃毎日のように見る夢があった。
昔から好きだった甘いものの夢だ。
チョコレートやおまんじゅう、アイスクリームにケーキを食べまくっている夢だ。
そんな夢ばかり見ているとアタマの中は甘いものでいっぱいになった。
チューイング(口の中で味わい、飲み込まず吐き出す)を考えた。
以前はまってしまいやめられなくなった時期があった。
もう食べ物を無駄にできないと考え、母に相談した。
「カロリーゼロの砂糖でもコーヒーに入れて甘くして飲んでみれば」とのことだった。
すぐにカロリーゼロの甘味料を買い、スプーンにすくってなめてみた。
とても甘くておいしかった。
その甘味料にやみつきになっていった。
もちろんコーヒーに入れずになめて甘みを感じていた。
よほど甘いものに飢えていたのだろう。
一度なめだしたら止めることができなかった。
自分には甘いものといえばこれしかなかった。
周りのみんながチョコやアイスを食べている時に合成甘味料をなめ続けていた。
その光景はまるで何かにとりつかれているようだった。
その甘味料は入院中ずっと手放せずにいた。

ある日、ナースから小包が渡された。
送り主は福士さんと森田さん、そして哲也からだった。
さっそく開けてみると中には立派なアルバムが入っていた。
アルバムの表紙には「あんちゃん思い出集」と書いてあった。
哲也と肩を組み楽しそうにしている写真ばかりだった。
バレー部のときの写真や色々な友達と写った写真があった。
全部見終わると哲也の結婚式のことを思い出した。
あれだけ人生の晴れ舞台を汚した自分を許してくれたんだ。
そう思うと声を出して泣いた。
周りに人がいようが構わず大声で泣いた。
このプレゼントは自分にとって宝物となった。


さとし『侵食〜摂食障害克服の記録〜』より


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さとしの妻です。

ごめんなさい。
一年以上も放置していました。

一昨年暮れの引越しを終え
生活が落ち着いたら更新をしようと思いつつ
期間が空けば開くほど罪悪感が大きくなり
いっそこのまま…そういう思いも出ていました。
無責任でごめんなさい。

病気の時の時間がどれだけ長いか知っていて
本当に無責任だったと思います。
ごめんなさい。

私のできるペースで
でも誠実に
もう一度向き合って行こうと思います。











さて
この章では摂食障害のいくつかの症状について書かれています。
さとしは拒食症でしたが
私は拒食から始まり、その後過食嘔吐になりました。
過食嘔吐が延々と続くわけではなく
過食嘔吐と拒食の繰り返しでしたが
過食嘔吐をしていた時期が圧倒的に多かったです。
(このパターンで苦しんでいる方は多いかと思います。)

私の場合、拒食の時はどちらかと言うと躁が入っていました。
食べないでいられる自分を評価できていましたし
そういう自分に自信を持てたのもあり、過活動になっていました。
健康的な外見から程遠くなっていた頃は別ですが
まだそこまで行かない時期においてこの拒食の時は
他人からははつらつと、元気そうに見えたりしていたのではないかと思います。
「痩せて綺麗になったね」なんて言ってもらえると
ますます気分が高揚し、食べないでいられることを誇りに思いました。

逆に過食嘔吐の時期は精神的にも落ち込み、酷く憂鬱でした。
食べるのを止めたいのに、脳の欲求がすごくて
食べずにはいられない。
そして食べて吐いてはまた自分はなんてダメな奴なんだと罵り
自分が嫌いになっていく。。。
そしてその辛さから逃れるようにまた食べ、吐き
どんどん脳の過食欲求も激しくなり
常に
食べたい食べたい食べたい食べたい
そればっかりが頭の中を占めていました。

学生時代、朝起きてから戦いは始まり
三合のご飯に砂糖を混ぜて全部食べてもまだ止まず
一旦吐いて買い物に出かけ
菓子パンやクッキー、アイスクリームや牛乳
タマゴにお肉にお寿司に…
両手にパンパンのビニール袋を提げて帰宅し
部屋にも入れず、玄関から上がったところでそれらを胃に押し込みました。
胃ははちきれそうに痛くなってでも食べるのを止められなくて
悶絶しながら食べ
どうしてもダメになったらトイレに駆け込んで吐いて。。。
一度吐いても収まらず、何度かそれを繰り返し
体力が限界になったところでようやく何かから解放され
ベットに横たわって、大きな罪悪感と後悔の中で眠ったりしていました。
そして目が覚めるとまた…

社会人になっても、過食欲求は留まりませんでした。
出勤する前にコンビニをはしごして菓子パンを買い
通勤の車の中でそれを貪り食い、職場に着いたらトイレで吐きます。
おやつの時間は苦痛で堪らず、どのくらいの速さでどのタイミングで食べたらよいのか
過食欲求と戦いながら周りを観察していました。
それでも職場にいればとりとめもなく過食せずに済むのが楽でした。
遅くまで残業をしたあとの帰り道
今日は止めなくてはと思うのに、スーパーに寄り、食材を買い込みます。
パン、揚げ物のお惣菜、アイスクリーム、ジュース、お菓子
駐車場で胃に詰め込み、そのままその店舗のトイレで吐きます。
そして次のスーパーやドラッグストアに向かい、また繰り返しました。
フラフラになる頃に、食べ物を持って帰宅し
家でもまた食べて吐いてを繰り返しました。

泣きながら、苦しくて悲しくて
物凄い焦燥感で…
辛くて仕方ないのに、自分を労わったりする気持ちは全くなく
トイレから出てきたドロドロの顔をした自分の泣き顔を見て
ざまぁみろ、もっと苦しめって思っていました。

辛かったです。
本当に辛かった。













今も当時のさとしや私のように、苦しんでいる方がおられると思います。
治すことも考えられず、治るとも思えず、日々生かされている方もおられると思います。

さとしも私も、今、摂食障害とは無縁の生活をしています。
すっかり治っています。
穏やかに、平凡な毎日を送っています。

信じられないかもしれませんが
摂食障害は治る病気です。
抜け出すことを諦めないで下さい。







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テーマ:摂食障害 - ジャンル:心と身体


明けましておめでとうございます☆
2008年、明けましておめでとうございます。
ご無沙汰しております。

引越しの方は年内バタバタしましたが
年越す頃には日常生活が出来るようになりました。

また更新の方していきたいと思っていますので
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

テーマ:摂食障害 - ジャンル:心と身体